組織のトップ

組織のトップは、様々なことを考えねばならない。特に、コロナで否応なく変革するとはいえ、働き方改革が求められている中では。
以下は、公共事業についてのある全国誌に記載された私の記事の主旨である。

無理をさして(過重業務)、無理をするなと(超勤削減)、無理をいう。組合の川柳であるが、このような職場が多いのではないか!人員は増えることは無いのが一般的である中、より高い成果が求められる。しかも、経済が悪化しないようにするためには生産性向上しかない。つまり、これまでとやり方を変えねばならないのである。

今、三宅町役場の状況を見ていると分不相応の大きな公共事業(複合施設)のために、コストのみならず時間と職員のエネルギーまで削がれているようにみえる。仕事が粗っぽくなっていないか?今後もそうなりかねない。現に、税収増に繋がる産業関連への知恵だしが殆ど機能していないのではないか!

組織のトップ

以下は、組織はトップの器が大事という視点から、これまでの行政経験を基に若手向きに綴ったのをアレンジしたものです。参考まで

はじめに
私は、これまで農水省に勤務し、その間、JICA、OECF、水資源開発公団(現独法他)、地域環境資源センター(一社)などへもそれぞれ約2年間出向しました。又、勤務地も東京、各地方農政局、海外と多様で、仕事の内容も、制度設計、予算編成、国会・現場・災害対応、法案策定、ODA、水行政、自然環境保全等々様々なことに従事してきました。その中で常に頭にあり、今も心掛けていることの一部を記載させて頂きます。

大局観を意識すること
目先のことばかりに追われていると、木ばかり見て森をみることを忘れ、本来の趣旨からずれ本質を見失い兼ねないということがあります。 農水省の公共工事で言うならば、工事を実施することが目的ではなく土地改良区や農家(エンドユーザー)の視点を見失わないということです。

技術を維持(保持・向上)するには現場が必要
京都や奈良には神社・仏閣が多く昔の建築に対する修復技術は今もありますが、威風堂々とした木造建築や宮大工の世界は現在風のハウスメーカーに押されてニーズが少なくなり、若手の大工にはもはや昔の技量は心細いということをよく聞きます。「現場に答えあり(現場主義)」という言葉が用いられますが、いろんな意味で現場を大切にする必要があります。

伝えるべきことは伝える 言うべきことは言う
悪い情報や心地よくない情報ほど早く上司にあげるということはよく言われます。上司も周りがイエスマンばかりだと正確な情報が入らず判断を誤ります。時には建言することも必要でしょう。但し、昔、行政への「陳情」が、今や「提案」という言い方に変わったように、伝え方が重要です。

騒げば知恵が集まる
じっと物事を温め雌伏することや公言できないこともありますが、騒げばいろんな知恵が集まるものです。そのことで、構想が空理・空論でなく実現性が高くなりシナジー効果がでることもあります。又、いろんな分野の方とのリラックスした交流はタスクフォースに通じるものであり大事なことだと思うことがあります。

鈍感力という感性、直観力という知性
「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである」という名言がありますが、意思をもって時には鈍感でありたいものです。
 また、直感というのは理屈を超えたものですが、「経験、知識、意欲、意思」などその方の全てが反映されたものであると私は思っており、意外と後付けで論理的に整理してみても正しいことが多いものです。

平和な時代だから自分の頭で考えよう
農水省の設計基準には米国の「工兵隊」や「開拓局」に由来するものがあります。その時代は有事であり考えている時間に制約があることからマニュアルが必要であったと理解しております。今は平和な時代。しかも、新設が少なくなった時代で工種も多種多様で技術は秒針分歩、指針・基準・マニュアルだらけです。(時間のある)この時代だからこそ、それらの現場適用に当たり何故このようなことになっているのか今一度考えたいものです。

おわりに
以上、拙文でしたが、様々な組織に通じるものがあるかと思います。今は、「働き方改革」が進められ、生産性向上がどの分野でも求められる時代ですが、一歩間違えれば競争力を失いかねません。頭脳労働には、知識と知恵がありますが、より大きな付加価値を生むのは後者ではないでしょうか。

田園回帰

以下、コロナ社会における変化として、集中から分散、私の町全体を博物館と見なす「田園ミュージアム」構想に繋がるものなので紹介する。

[論説] 農村政策の検討 均衡ある国造り目指せ
2020.06.28 日本農業新聞社 3頁 総合3面12版遅 (全1,165字) 

 人口減少と高齢化で衰退する農村の再生を目指す農水省の検討が始まった。
同省が政府全体の司令塔となって、バランスの取れた国造りと景気対策につながる農村政策の確立を望む。
 検討は、新たな食料・農業・農村基本計画で、手薄だった農村政策を総合的に論議し必要な施策を実施するとしたことを受けた。研究者や学識経験者、自治体の首長などによる検討会を設け、論議を始めた。
 国全体の視点での検討を求めたい。農村振興には地方分散型の国造りが必要となる。新型コロナウイルスなどの疫病防止のためにも、バランスの取れた国土利用が不可欠だ。東京都の人口は5月1日時点(推計)で1400万人を超えた。東京一極集中は新型コロナ禍下でも続いている。政府・与党は国政選挙のたびに地方創生を掲げ地域政策の充実を強調してきたが、効果が上がっているとは言い難い。

 地方創生事業は各省からの寄せ集めが多い。
基本計画では、(1)所得と雇用機会の確保(2)安心して住み続けられる条件整備(3)新たな活力の創出──を3本柱に、
「地域政策の総合化」を掲げた。農水省を核に関係府省が連携し、現場の実態や課題、意向を踏まえて、体系的で効果的な施策を打ち出すべきだ。

 農村への定住を増やすには、一定の所得を確保できる環境が求められる。農業だけでは生活できない現実もある。「半農半X」など農業収入に上乗せできる収入源や、組み合わせができる仕事の確保が必要だ。雇用創出と産業振興を強化すべきだ。
また、遅れている情報インフラに加え、トイレや台所、風呂の汚水を処理する施設など住環境の整備を急ぐ必要がある。医療・福祉、教育、交通をはじめ生活環境の充実も欠かせない。
 都会の若者には、地方を目指す「田園回帰」の機運が生まれ、農村や地域と多様に関わる「関係人口」も増え出した。新型コロナ禍で「3密」の少ない農村生活への関心も高まっている。追い風を生かすべきだ。
 農村振興と景気対策を結び付けた政策も打ち出すべき時だ。新型コロナの世界的な感染拡大で、輸出主導の景気回復は難しい。農業の生産基盤の強化や基盤整備、農畜産物の国内消費の拡大などに必要な農村への投資を積極的に行うことは、内需主導の景気対策にもなる。  行政の在り方も見直すべきだ。市町村は昭和から平成の大合併で激減。1万を超えていたが1700台になった。職員の数も15年間で10%以上も減少。地域の農林水産業を支える職員数は27%も減った。現場からは「手が回らない」との悲痛な訴えが届く。自治体の体制強化と国の支援の拡充が必要である。

 安倍晋三首相は国会閉幕後の会見で「集中から分散へ、日本列島の姿、国土の在り方を、今回の感染症は、根本から変えていく、その大きなきっかけである」と述べた。認識は正しい。問題は政策と実行力である。

日本農業新聞社

災害

私は本省の災害対策室長の時に多くの災害を経験した。山形の七五三掛の地滑り(ワイドショーにも大きく取り上げられた)、岩手の栗原町の地震、山口県の豪雨、岡山県の佐用町の豪雨など。その度毎に霞ヶ関から政府調査団としての参加したり、自衛隊のヘリコプターで調査したりした。そして、農業分野では予備費を初めて使ったり、水土里災害派遣隊を創設したり、国直轄事業を創設したりした。兎に角、災害時に自治体に技術者が居ないのが問題。激甚災害に指定直前に額が積み上がらす取り消しになり財務相に怒られたこともある。被害届けをしないと災害復旧の対象にならないので自治体は適当に積み上げるのである。果たして三宅町に災害時に対応できる技術者がいるだろうか?そのために派遣隊を創設したし、私は災害関連法律を熟知しているし、応援してくれる組織(建設関連協会など)がある。
また、多くの全国の災害をみて感じたのはしっかりしている地方自治体の復旧は早いということ!政府調査団が行った時には報告書が出来上がっているし、国の制度を知り尽くしていて制度創設を要望するにしても無茶苦茶なことはしない。三宅町で堤防決壊とかあったら、各省に股がるが大慌てで復旧対応が遅いことは目に見えている。災害でなくても地域がまとまったことがないのだから。

町が国を動かし、三宅町を創る!

この意味は、ボトムアップで国の政策を創るという意味である。地方の問題は国の問題 国の問題は地方の問題 国とて地方に適合しない法律や制度をつくっても仕方ない。霞ヶ関に知人や後輩が多くいるし、各省協議や国会説明、官邸説明を通じてしくみを知り尽くしている。制度創設、予算について大いに三宅町に還元したいし
出来る。

スマート農業

三宅町では、開水路であるから水は豊富にあるが、結構、田植え前とかは水の取り合いをやっている。その一方、多くの地域ではパイプライン化がなされ、蛇口をひねれば水が来るところも多い。水路には、供給主導型と需要主導型があるが、進んだ農業をするには当然、供給主導型でなければならない。吉野川から分水がくるので、完全な需要主導型は難しいが、半需要主導型ならばできる。それは、途中で調整池を介してそれから下流をパイプライン化することだ。嘗て、盆地にはため池が無数にあったが、現在は650カ所ほどだ。更に、遊水地計画もある。どうせ作るなら、農業利用と結び付けられないか検討すべきである。こんなこと県の土木が発想するはずがない。三宅町から言い出せばいいのである。更に、パイプライン化できれば、スマートフォンでの水位操作も可能となる。現に、私は東海地方でやってきた。協力してくれるメーカー関連もあるだろう。実証地として国の事業も引っ張ってくればいい。農家に受動的なアンケートをとっているだけでは、農業は萎んでいくのみ。大きなポテンシャルがあるので、行政が引っ張っていかないと!

奈良盆地の治水

京大 防災研究所の中川一先生が、県の有識者委員会の座長をされている。
私は、現職時、先生に非常に難しいダムの堆砂関連で委員としてお世話になった。
今、日本ではダムは法律上なかなか新設できないが(全くできないわけではないが)、堆砂問題は深刻である。
何故ならば、ダムは80年から100年の堆砂を見込んで設計しているのであるが、戦後作られたダムはその時期を迎えつつあるからである。
加えて、異常気象で豪雨が頻発している。
昨年から、治水容量を増やすべく、利水容量を削減するよう調整し、なんとか倍確保されたようである。
加えて、ダムの流域である山々があれているのである。林業が儲からないので、立派なスギがそのままにされ、豪雨時になぎ倒され、二次災害をあちことで引き起こしている。

私が、上下流交流を訴えるのは、三宅町の水源である川上村などに感謝するとともに、下流の大阪には三宅町などのもっと感謝してもらう必要がある思っている。
大阪の発展は奈良盆地の犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではない。
洗練された川は、上下流交流をうまくやっている。
例えば、愛知県の矢作川では、上中流に豊田市があるが、トヤタの発展は工業用水のお陰と言ってもよく、農業サイドと共生し、川の生物保全も信じられない位意識が高い。
このようなことを踏まえて、「奈良の総合治水計画」は出来ていると信じたいが、その委員長をして頂いている中川先生に三宅町にも指導して頂きたいものである。

新過疎法 有識者懇談会の座長の考え

「交流人口」、「関係人口」というのがあるが、定住はしていないが、その地域に勤務していたとかの関わりのある「関係人口」をいかに増やすかがキーであるとのこと。過疎地域と都市との共生や、生物多様性の大事であると説く。コロナでは、過疎地域が日本の底力になるという。これまで主張してきた私の考えと全く同じである。
生物多様性についていうと、但馬駅前の農業用水路には、ドジョウやメダカ、ザリガニが沢山いる。非常に美しい物語を例にあげると、熊谷市では、農業用集排施設で下水処理がなされ、水路の水が綺麗になり、カワニナが生息し蛍が舞うようになった。すると、非農家も水路の泥上げ等にも参加するようになった。このような、ポテンシャルが三宅にはある。東京にいるとき、三河でも生物の調査を嘗てしたことがある。非常に多様な生物が生息していた。都会の3密で生活や仕事をするよりも、癒しを与える緑豊かな田園でテレワークできることは多々あるし、好むと好まざるに拘わらず産業構造は着実に変化している。

過疎法

正式には、過疎地域自立促進特別措置法といい、それまでも前身の法律があったが、目的、支援内容を少しづつ変え、延長され今日に至っている。
今の法律の特徴は、目的に、(「住民の福祉の向上」、「雇用の増大」、「地域格差の是正」に加えて)「過疎地域の自立促進」、「美しく風格ある国土の形成」が、追加されたことである。私が訴えている「品格ある町造り」「田園ミュージアム構想」に通じるものである。しかしながら、現町政では、「自立促進」の出口戦略が見えないのである。一応、自立促進計画が作成せねばならないので、それがあり一読は当然しているが、インパクトは全くない(つまり、財政支援に甘えているのみ)と私は思っている。気迫が感じられない。普通の補助金や交付金とは性格が違うのであり、援助を受けても一向に成長しない東南アジア以外の途上国のマインドに似ているのである。話は飛躍するが、日本では、戦後、農地改革は成功した。それまで、搾り取られていた小作農家が開放で生産意欲をもつことができるようになったからである。フィリピンでもブラジルでも農地改革をすると、土地を取得した農家は、直ぐに農地を売ってしまって失敗していた。これもマインドの問題である。イソップ物語のキリギリスがアリかということである。三宅町の誇りを信じる。そして、それが、過疎債というものに甘えることなく、真に足腰の強い三宅の成長・成熟につながると。因みに、法律は必ずソフトランディングするように、「激変緩和措置」若しくは「経過措置」というものを入れる。つまり、大きな事業するにあたって、この法律に惑わされる必要はない。

三宅町の財務状況

三宅町の財務状況 for wordpress
R2.  配布用文字 
R2 配布用 グラフ有り

三宅町の財務状況は、何故ころころ評価がかわるのだろうか?
それは規模が小さいからだと思う。
少し引き締めれば良くなるし、ちえちゃんじゃないが、「ぼーっとしてると悪くなる」。
長期的視野で意思を持って、「栄養失調の悪い黒字を抑え、赤字になるにしても、筋肉質のいい赤字体質」にするかである。
財政力指数が0.3前後をさ迷ってる限り、サプリが必要であるが、飽くまでもカンフル剤としての位置付けで。
そのあたりが、わかったうえで、取り組みをして自立するという強い意志が必要である。

添付資料の財務状況では、「単年度収支(収入-支出)」「積立金(貯金)」「地方債現在高(ローン残高)」「積立金現在高(預金残高)」の項目は省略

デジタル田園都市国家

苗代

自民党が「デジタル田園都市国家」を発表 コロナ終息後、地方へ若者が移る可能性を感じる。

こちら

「デジタル田園都市国家へ」 自民経済成長戦略案

 自民党は22日、政府の経済財政運営の指針「骨太の方針」に反映させる経済成長戦略案を策定した。新型コロナウイルス収束後の成長への布石として、官民のデジタル化を推進し、地域分散型の「デジタル田園都市国家」を目指すとした。週内に岸田文雄政調会長が安倍晋三首相に提言する。

 「田園都市国家」は地域間格差の是正構想として、1980年ごろに大平正芳首相(当時)が提唱した。

故郷は遠くに有りて思うもの

選挙のために私が東京から戻ってきたと思っている人がいる。
とんでもない。

日本のどこにいても海外にいても心は三宅にあった。
故郷は遠くに有りて思うものを実感する。
そして、頻繁に帰省した。
時には夜光バスで寝言にうなされて横の人に殴りかかり起こされる始末。

約10反の農地を一人で遠距離で経営してるのは、全国でもいないだろう。

三宅町のトップはそれなりの人がならないとどんどんおかしくなる。
所謂衆愚政治である。
中央の情報をちゃんと把握した人がならないと、公約倒れのオンパレードだ。