亀の瀬

大和川は昔淀川と下流で合流していた。それを江戸時代に分離し大阪の反映に結び付いた。
また、亀の瀬は、昭和初期せきどまった。
突貫工事で国道、関西線を付け替えた。
昔は、偉大な人が多かった。
最近、竜田古道と亀の瀬がストーリー日本遺産となったが、奈良盆地の発展のためには、亀の瀬の狭窄部に挑戦しないと抜本的解決にならない。
そのためには堺市とかと戦略的互恵関係が必要である。
一方、川上村とかとには、感謝の念が必要である。
これが、川上川下の戦略的互恵関係である。

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