自己紹介

 36年間、国の仕事をしてきました。その間、盆・暮れ・連休・農繁期などは頻繁に家族で帰省し、特に、2013年に母が亡くなってからは、毎週、東京・名古屋から通い、村の行事・農作業にあたってきました。
 一言に、「農作業」と言いますが、例えば、➀農地所有面積は、大字但馬で所有面積は多分一・二番目に大きい、➁採種から精米まで家で行っている農家は但馬でも数件のみ、➂国の方針(主食用米の余剰対策)に忠実に従い、2017年まで(2018年から減反政策はなくなり、自主判断に任せることとなった)、飼料用米・コスモス栽培を行ってました(減反せず、三宅町の農家のように全部米栽培をした方が楽で、フリーライダーとしてコメの出荷価格も減反者とお同じであるが、親父が国の方針に忠実に従っていたことを引き継ぎ、私も国に勤務していたことから減反を行うこととしたもの)。㊃出荷はしてませんが、畑3反も村では大きい方ですが、どの一つをとっても他にこのような方は三宅町には殆どいないと思います。
 これらを完全に一人で超遠距離(約600㎞)で行っている人は、全国でもいないと思います(「手伝おうか」というが、慣れていない者がくると邪魔になって仕事が増えるだけなので、今はまだ断ってる。また、東京↔名古屋位の遠距離なら交通の便もいいのでいる。普通は、肉体的・経済的・時間的に不可能)。加えて、超遠距離で、2013年から2017までは、実家では親父が介護状態に入ってきたことから、村の行事(お寺の檀家総代、村の役員、地蔵や郷神さんの役、通井張り・草刈りなど)の全てをこなしてきました。勿論、そのために周りの方々に迷惑を描けた面のあったでしょう。
 家族は妻、一男一女、父ですが、就学や仕事、又は親の介護の関係もあり、器用に与えられた環境の中でやってます。
 自治会も2カ所に属していることが多く、例えば目黒では会計役員(予算数千万)もしてましたし、名古屋では通常、土日の草刈りを三宅に戻るため週日に草刈りをするなどで対応し、三宅・但馬の自治会を優先して器用に二つの自治会対応しておりました。
 従って、土日祝日の殆どは、すべて農作業や役員活動に費やさざるを得ない状況でした。
 一方、仕事では日本一の農業用ダム(堤高100m)の建設から、「スマート農業(スマホで水位操作できるなど)」・「再生可能エネルギーの活用」など始め、国営事業を通じて地元が喜ぶ事業をあちこちで先進的に実施しており、「自分の地元 三宅町」が遅れていることに大きな歯がゆさを常に感じてました。
 又、幼少期から就職するまで、不遇の身体障碍者の叔父(幼少期に頭部外傷で肥大半身不随となり、ひきつけを頻繁に起こす)とともに過ごしたことや、今現在父の在宅介護を行っていることもあり、これまで全国他の地方、又は海外での公共事業のビッグプロジェクト又は、きめ細やかな地場産業育成事業の経験もあり、郷土愛と「あーすればいいのに、こんなことできるのに」という思いが強くなった結果が、退官して一年を機に今回の行動となったように思います。
 勿論、これまでもレベルは違いますが、様々な形での政治参加の誘いや興味などあったわけですが、それらは辞退若しくは断念し、地元、若しくは国家公務員優先という対応をしてきました。
 同期入省者の殆どが東京でOB生活をおくっていますが、私は以上の理由から退職したら三宅と決めており、それが実現した訳です。現在は、東京 浜松町に本社がある会社で、本社に属しますが大阪支社駐在という立場で、あらゆる国の公共事業に大体関与(京奈和道路や亀の瀬工事、新幹線、リニア、災害他全国多数で監督など)しているコンサルに勤務しております。自動車の生産ラインのシステム設計から、工場の生産ラインの監視システム開発(特に東大阪の工場のスマート化に注目)、ため池の監視システム開発(私が提案)にも意欲的に取り組み実績をあげている会社です。
 これまで全国・海外で仕事をしてきた関係上、今回の私のとった行動に関し、激励等多数DMで頂きましたが、なんせ選挙権のない方々です。国・大手民間協力企業・大学も今なら知り合いが沢山おり、三宅町に協力してくれるという思いが募ります。
 因みに、趣味は、小さい頃は切手収集から多くの種類の小鳥を飼ったりと多趣味でした。スポーツは、テニス・スキー・野球・ラグビー(高校一年、先輩をタックルで松葉づえ状態にするとともに、自身もセービングで脱臼しその後柔道・バスケ・野球・アフガニスタンなどで10回繰り返す)、ゴルフなどなんでもなんでも悔いのないように行ってきましたが(例えば、スキーでは、皆が避けた、凍り付く蔵王の横倉の壁を初心者ながら、直滑降で転げ落ちました)、一番死ぬほど休みも返上して取り組みその後の精神的支柱となったのは、三宅小学校での4年から6年までの水泳でしょうか(この時、既にあきらめる。なんぼ頑張ってもあかん世界があるんだということを悟った)!その後も、国家公務員の水泳大会(目白の田中角栄宅の横で開催)では、全省庁中、農水代表として3位の成績でした(因みに、当時一位は防衛庁、二位はなんと大蔵省)。
 今は、汗を流すこと(勿論、冷や汗ではなく、くよくよせずお天道様に向かって恥じないように働け働けという意味 三島由紀夫や石原慎太郎的考え「肉体と精神の同一化」)
 私に言わせれば、故郷が全てであり、そのために現役中、制約・不利があった面については、忸怩たる思いがありますが、故郷のことを思う故のことであり、三宅町・但馬の歴史・地勢・限られた分野エリアの人などそれなりに知り尽くしているつもりが、今回の選挙で更に肉付けができたような気がします。特に、旧いですが、ガロの「喫茶店」の「時は流れた 人の姿も変わったようー」が実感されました。
 こんなやつですが、今後とも三宅町のためになることは、随時発信して参ります。
 

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