陸の孤島とならないように

 一歩離れて三宅町をみていると、事業者(企業)にとっては、近隣町に比べて三宅町はやはり引きが弱いように感じる。どうしても田原本町とかに関心が向くようで、必死に三宅町に引き込もうと仕向ける自分がいる。そして、じわじわ沈んでいくのではないだろうか。
三宅町にいると、大きな「歯がゆさ」を感じる。その要因のひとつは、よそ者として他地方でやってきたことがこの町ではできていないこと、そして、失礼ながら、致命的なのは、他をみていないので自分たちの立ち位置が認識されていないことだ。
例えば、水利施設の水位観測やカメラによる集中監視をよその県でデモ(無償)で実施しようとしているが、この町では依然原始的。田んぼはパイプライン化や、スマートフォンによる制御、農道ターンで省力化などどんどん進化しているが、この町は数十年遅れている。失礼ながら、皆、何を考えて日々生活をしているのだろうかと思ってしまう。大きな災害がないために、結束力も弱く、思想や哲学が町づくりにないように感じる。起業マインドに乏しいのは、ある意味、逃げ場所が無いからではないか。アメリカでは、東海岸で失敗した映画会社が、ハリウッドへ移りあの拠点ができた。
 コロナで産業構造は、着実に変化している。ポストコロナは本当の意味で地方の時代がくると信じるものの一人である。現に、早くから分散型社会への転換を意識してきた投資会社もまさに好機ととらえている。但し、政治については、ボットで印象操作のできるSNSの巧者が民意を操ったりするような町であって欲しくない。、

コメントを残す