地方議会で国政を意識することの意義

地方議会で自給率が議論されることは殆どない。地球温暖化、生物多様性、憲法が意識されることもない。また、基本的に明治時代に構築された家族法が議論されることもない。・・・。そんなことは国の仕事。しかしながら、国政を意識することの意義は次の通り、地方議会においても大きいと思料する。
1、国は国民のために政策立案するが、地方議会としては、地方の諸施策がそれら政策に沿っているか常に吟味する必要がある(※1)。
2、一方で、地方から国を動かして制度設計を行って頂くことや、地方独自の施策も必要であるが、そのためには、国の施策を熟知しておく必要がある(※2)。

三宅町で一例をあげれば、災害は議論されることはあるが、それは地球温暖化も原因と意識すれば、➀温暖化の大きな要因であるメタンガスを一番多く土中に閉じ込めているのは田んぼの土壌である、或いは、➁水田は気化熱でクーリング効果があるとなり、農業を大切にしようという機運が向上し、国に交付金措置の創設(現在ある日本型直接支払い交付金の拡充)を提案したりすることに繋がり、結果的に三宅町に裨益する。上位目標は、思想(哲学)だから、中長期的に政策がぶれることはない。

では、議論・意識されない理由は何故だろうか?理由があるとすれば、
1、そんなことは自分たちの管轄ではなく、国の仕事である。
2、その国を信頼している、若しくは自ら考える余裕(時間・能力)がない。
3、雲のうえの話である(すぐに効果が感じられない 例えば、地球温暖化防止)。

中長期的に見れば、思想がなく、持続的な発展性もなく、結果的に町は沈んでいく(衰退)。是非、国政を意識したいものである。よその地域では、大きな自然災害もあるが、その分必死で勉強し結束してどんどん進んでいる。

何よりもそのためには、三宅町の議会がリアルタイムで見れるようになることである。何が議論され、どの議員が仕事をし、首長・議員がどのような表情・言葉・語調で発言しているのか、住民が瞬時にわかるように。「住民が主役・住民との対話」は当たり前のことであるところ、その一歩としては必須であると思料(※3)。

(※1)プロジェクト実施する場合、様々な外部条件があるなか、インプット(投入)→諸活動→諸成果→目標達成→上位目標→スーパーゴールとすすめるが(PDM)、これを地方で意識するかしないかでは、中長期的な思想を持って町づくりをすすめるか否かに関わり、結果的に「町の発持続的な発展」に大きくかかわると思料する。三宅町では、個別のインプット(投入)だけに住民も町行政実施者も関心があり(複合施設もしかり)、大きな思想を感じられないのは、この上位目標までの意識が欠如しているからではないか。

(※2)私が県をあまり強調してこなかったのは、失礼な言い方をすれば、「県は国の施策を実施しているだけ」の場合も多く、目標を高く掲げるためである。端的に言えば、行政や技術的中身を熟知し、ボーっとしている国や県にどんどん制度を創らせるのである。

(※3)国会での経験からいうと、テレビが入っているときは、代議士は張り切り緊張感がありましたが(勉強し無責任な発言もない)、同一議員でもカメラが入らない委員会などでは全く覇気が違う場合がありました。また、活字になれば同じ言葉でも、語気や語調で意味が全く違うこともある。丁度裁判で、尋問は裁判長の前で行われるのが原則とする理由と同じである。よく、審議会では「自由な発言を促すため」非公開とし、その後活字で公表するのとは意味が違う。

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