三宅町に係る深い話 その2「地球温暖化防止対策」

米国でバイデン政権が誕生し、初日にパリ協定に復帰するための文書に署名がなされた。
一見、地球温暖化防止対策なんて三宅町(地方市町)には関係ない、国の仕事で、もっと卑近な政策しか興味は無いと思われる勝ちであろう。毎年の豪雨災害や猛暑を経験するようになり、せいぜい、なんとかせねばでも三宅町では何もできないというところかと思う。しかし、国(環境省、経産省、農水省、国交省など)とて、制度設計も含めて、所詮旗振り役に過ぎず、実際取り組むのは地方である。そして、恩恵を受けるのも地方である。

そこで、簡単におさらいすると、
➀ パリ協定では、世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする(2015年 COP21)。
➁ 我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする(菅総理 所信表明)。

ここで、問題になるのが原子力発電の取り扱いである。もっとも、クリーンで低コストで安定していると、東北沖地震があるまでは言われてきたが、もはや最もコストがかかり、危険であるから、フェイドアウトするしかないと私は思っている。

しかしながら、
➀経団連の中西会長は、年初に「原子力の在り方も含めたエネルギー問題の抜本的な議論が必要」、
➁トヨタの豊田章男社長は、昨年末に、「2030年までにガソリン車の販売をゼロにするという政府の方針に対し、EV車の電気や製造に多大の二酸化炭素を排出する」とし、
急激な変化に牽制球を投げている。

地方も含めてこのような状況では、日本の目標達成は、非常に心もとなく、達成されないだろう。十数年前、確か京都議定書のときに、環境省の若い官僚が現状を分析して、「達成するのは難しい」との見解を発信したときに、猛攻撃を内部でくらっていた。真実を述べる者を叩く世の中では進歩はない。

因みに、日本から約1万キロ離れたドイツ(同じ敗戦国ではあるが、憲法改正も含めてなにかと私が尊敬する真の独立国家)では、日本の東北沖地震における原発事故をみて、原発をやめると判断した。これは、隣国から電気を買えるからとかの問題ではなく、緑の党とか歴史があっての話である。原子爆弾を投下され、原発事故を起こした日本が迷っている間にドイツも含めた北欧はドンドン再生可能エネルギーに舵を切り、水素の活用面でも遥かに進んでいる。

国は、途上国と先進国での二酸化炭素のやりとり(嘗て、筆者はCDMに関与し国連の承認をその後日本で初めて取得)、先進国間での取引等うまくいかない新たな制度構築に全力をあげるべきである。

そして、地方は強い意識をもって行政(グリーン社会、流域治水対策も含めたグリーンインフラ等)を運営し、必要に応じて、制度構築を国に働きかける必要がある。温室効果ガスの取引や削減を競い合うしくみの再創設(製造業者の取組は勿論、蓄電池を活用した仮想発電所、湛水した田んぼのクーリング効果或いはメタンを封じ込めている効果の都市部との取引等々)の制度構築が考えられる。知恵の出しどころである。

結局はそのことが、デジタル社会にあって、緑豊かな品格ある元気な地方を取り戻し、コロナ禍でも人を呼び込めると信じる次第である。

私の経験として、日本の企業は、CSR(社会貢献)と称して、心象膨大に地球温暖化防止対策を喧伝する傾向にある。実際、企業と連携を図ろうとすると、外部への説明と違い、利益を最優先するようでは、日本の温暖化防止に対する目標達成はあり得ないと言えるだろう。

官邸主導で各省庁の官僚が知恵を競い合うのが減衰し(萎縮し)当たり障りのない政策に終始し、地方にもその影響が大きく出ているとしたら、残念なことである。条件不利地でもないのに過疎となりそれに甘んじている三宅町から国を突き上げていく気迫・元気が欲しいものである。

この分野においては、アクセルを踏んでも踏みすぎることはなく、絵空事の目標でないようにするには、地方が個々人がもっともっと取り組む必要がある。

三宅町に係る深い話(その1)少子化原因

謹賀新年 
新型コロナが猛威を振るう中、静かな正月を迎えておられる家庭も多いかと思います。世界的に大きな歴史的現象を我々は経験しています。人類の英知が問われます。さて、深い話(その1)として、「少子化原因」についてアップします。

私は、地方の問題は国の問題、国の問題は地方の問題という意識でいる。少子化については、年金・医療・介護・経済など全ての問題が帰着する重要な課題である。高齢化は仕方ないとしても少子化は将来の話であるからなんとかできる課題と認識している。途上国は増える一方であるのはともかくとして、特に、先進国(OECD加盟国)の殆どが出生率からしてもその課題をクリアーしつつあるのに対して、日本は何故こんなに少子化が進んでいるのであろうか?

団塊の世代のジュニアが生産年齢であるときに、(今三宅町がとっているような)様々な政策をとるべきであったが、とっくに「時既に遅し」であるようにこれまで政策が後手後手であったことは、もう仕方ないとしてこれからどうするかという視点で述べる。

理由としては、待機児童が多い、所得が十分でなく子供を持とうとする気になれない、今困っていないし独身で楽しんでいる、可処分所得が減る、最近30前の未婚の女性から聞いた変わった理由としては、温暖化などグローバルイシューで子供が苦労するのが目に見えているので子供を持たないなどネガティブなものがある。男性も女性も草食化した、情熱的になれば批判される、少子化が親から子へ続き新たな親戚関係を作ることに消極的になっているというのもあろう(老後の面倒を見てもらうのは実の娘や息子が一番ということで取り合いになっているから、変な外部の人と縁戚になって取られたくない)。

税金の控除、プレミアム商品券位ならともかく、市町村によっては、破格の経済的支援を子供の数に応じて行っている自治体もある。まるで、社会がお金で子供を生産していくようなものである。

私は、仮に十分な経済的余裕があって、保育所とか社会インフラが整い、時間的余裕ができても日本の少子化は解消されないと強く思う。少なくとも、経済的余裕というのは関係ない。例えば、難民キャンプ場では、子供が沢山生まれている(危機に晒されれば本能的に子孫を残そうとするとの見解もあるが)。

私が20台の頃は、DINKS(Double Income No Kids)という言葉があったが、彼らの人生を追ってみると、ライフプランができていて、いくつ位になったら子供を設けるとか決めていて実行している方が殆どである。

では、今、日本にはどこに改善の余地があるのであろうか?

私は、他のOECD諸国と同じく、「インフラ」を整える必要があると信じている。ここでいう「インフラ」とは、物理的なものではなく、法律、もっとシャープに言えば、「家族法」である。

GHQの民放学者が短時間に作った憲法もしかりであるが、民法についても、我妻栄らによって明治時代に作られてから殆ど根幹的な部分は変わっていない。

家族法のどこが問題であるか?それは、他の諸外国と比べて圧倒的に違うのは、「一方の親が親権」を有すること、つまり、「共同親権」でないことである。日本は数年前に、ハーグ条約に加盟したが、国内法と齟齬があり(日本政府の見解は齟齬が無いであるが)、依然、諸外国から、「拉致国家」として大きな批判を受けている。米国に至っては、FBIに指名手配されている日本人女性も多々いる。欧州諸国からの批判を国家元首からも受けている。

元縁があって結婚した夫婦が国内では醜く子供を親権を巡って争う例が多く発生している(年間20万組がさよならし、それに応じて影響を受ける子供が量産されている時代である)、このような社会的構造が、未婚の若者が結婚というものに希望を見いだせない一因となっているのではないだろうか!

チャプリンは、「人間は少しのお金と希望があれば生きられる」と言ったが、結婚にエスペランサ(ええこと)があれば、若者は本能的にも結婚し子供を設けるのではないか!

今、国会では、共同親権に係る議員立法を作るべく、超党派の議員で勉強会が行われ、法務省の審議会でも検討されており、大阪府をはじめ、地方議会でも多くの議論がなされ意見書が出されている。

「共同親権となり、フレンドリーペアレンツの原則が適用され、ステップファミリーのように、子供にとっても親にとっても、いい社会となることが少子化に寄与する」なんていう論調は今まで、マスコミでも論文でも見たことが無いが、これは本質を突いていると考える。

未婚、晩婚に加え、最近発表されたデータでは、コロナウィルスで、妊娠を控えるカップルが増え、年間出生数は80万人を割り込み、10年以上も少子化が前倒しになるとのことである。外出が減り、出会いの機会も減っているのが原因との分析。私は、上述の通り、大きな原因は違うと思う。何故なら、例えば、9.11テロがアメリカであった時、出生数は増えた。下世話な話であるが、家で過ごす時間が増えれば出生数が増えるのが自然である。

三宅町でもこのような国政に係る意見書を提出することが地方議会を活性化し、ひいては地方(三宅町)に還元するものとなると私が主張する所以である。法案作成というものは、所詮下地(下支え)があってのことである。

次回は、菅政権になって、俄かに再浮上している「地球温暖化防止対策の本質」について深い話を掲載する予定(都合で突然変更することもあります)。

追って、みせかけに騙されないように、三宅町の財政についても分析を掲載していく。